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路上観察学会小倉支部 a File of the ROJOH KANSATSU

『第8回 マンホールサミット in 北九州市』に参加して

 報告が随分と遅くなり申し訳ありません、2018 年 11 月 3 日九州で初めてマンホールサミットがリバーウォーク北九州のエナジーコートや小倉城横の歴史の道で開催されました、当日はお天気にも恵まれて全国各地から5,000人を超えるマンホーラでにぎわいました。ここでは、福岡県下のマンホールカード化されたマンホール蓋の展示やマンホールグッズの販売が行われました。

 北九州芸術劇場会場の展示ホールでは、全国 418 枚発行されているのマンホールカードの展示が行われていました。ホールに入ると北九州市の銀河鉄道999のデザインマンホールの蓋と、マンホールの蓋の鋳型の元になる、松本 零士先生のサイン入り母型が展示していました。

100周年記念
            北九州市下水道事業100周年記念のデザインマンホール

母型
        上のマンホールの鋳型の元となる母型、下方に松本零士先生のサイン


その先には、さくら ももこ先生が生前に静岡市に寄付された静岡市のマンホールの蓋がありました。メーカーで制作中に先生がお亡くなりになり、市への寄贈は遺族で行ったそうです。メーカーの方の話では、当初、静岡市では当初、いたずら等があっていけないので市役所のホールに飾ろうとしていたようですが、先生の希望で静岡駅前に設置しているようです。

まる子マンホール

 午後から北九州芸術劇場中ホールでいよいよ「第8回マンホールサミット in 北九州」が開催されました。700席定員のホールが満員になってしまい入場できなかった方沢山もいたようです。来場者は県内が一割程度で、それ以外の九州の他県からが二割程度、九州外が七割ということでとても驚きました。

会場風景

 オープニングに国土交通省の下水道部長と北九州市の上下水道局長の特別対談から始まり、スペシャルトークとしてべルリン森鴎外記念館 キュレーターのベアー・ヴォンデさんの「マンホールとアイデンティティー日本独自の文化の魅力」のお話がありました、森 鴎外の専門が公衆衛生でベルリンやライプチヒで医学だけでなく上下水道についても学んでいたとこから話が始まり、彼、女が日本のマンホールに惹かれか写真展を開催したら話題となり、今ドイツでは日本のマンホールの蓋が話題となっているとのことでした。小倉の鴎外旧宅とは姉妹館の関係で来られたのかと思っていましたがとても興味深いお話でした。
 実は彼女とは一度ベルリンで対面したことがありびっくりしました。以前支部長がライプチヒの炭鉱を見に行って時べルリンの鴎外記念館に立ち寄った際にお世話になった方でした。

ベルリン鷗外記念館
                               ベルリン鴎外記念館


東西統一記念マンホール
                          東西ドイツ統一記念マンホール



ライプチヒ旧 東ドイツ
                        ライプチヒの東ドイツ時代のマンホール



 ココからリレートークが始まり、一番手は噂の土木応援チーム デミーとマツの「ドリームマンホール!」、土木の専門家集団のお二人が、土木的視点から下水やマンホールについてのレクチャー、平易な言葉でわかりやすく面白いお話を聞かせていただきました。
 二番手は飯田 眞三さんの「蓋の東海道五十三次、拓本の旅」は、東海道五十三次を旅してマンホールの蓋の写真ではなく拓本を取るという奇想天外な話でした。舞台いっぱいに広げられたマンホールの蓋の拓本は圧巻でした。
 三番手は、「今日から始めよう!デザインマンホールの蓋の楽しみ方 2018 版デザインマンホールの見つけ方や撮影方法などマンホーラー入門の話でした。
 四番手は緒方 絵理奈さんという北九州市上下水道局下水道計画課の若手女子職員の「飛ぼ出せ!行政マンホーラー」行政職員でもありマンホーラーでもある彼女の仕事や実際にデザインマンホールを企画できるという行政職員ならではのお話でした。
 五番手は支部長で「路上観察とマンホールの蓋」でした以下は当日使用しましたパワーポイントの画像に沿ってご報告します。


路上観察とマンホールの蓋-1

 路上観察学会小倉支部発足時に使用していた看板がドドンと大きなスクリーンに映し出されて、支部長もちょっと感動してしまいました。

路上観察とマンホールの蓋-2

 路上観察学会とはそもそも何か、そしてどの様にして発足したのか、その後の活動や著書について説明しました。また現在も、東京トマソンセンターがあることや、全国各地で現在で路上観察やそれに類する活動を行っている多くの人がいるることを説明しました。。

(路上)路上観察とマンホールの蓋-3

 小倉には城下町としての古い歴史があり、またその後も商業のまちとしてそして軍都として発展したが、空襲等の戦災に遭っていないために、古いもが比較的残っています。その名小倉のまちを歩いて欲しい、面白いものや不思議だな思うものに出会って観察して欲しい、足元の歴史をちょっとでも感じて欲しいとの思いから路上観察学会 小倉支部を発足させました。
 路上観察学会の名称使用については、藤森 照信先生のの承諾をいただき、広くこの活動を知ってもらい参加を呼びかけるために、路上観察学会 小倉支部のブログを開始しました。

(路上)路上観察とマンホールの蓋-4

 これまで見たこともないような不思議な古いマンホールに小倉のど真ん中で遭遇し、ブログに掲載したところマンホーラー界のレジェンド「駅からマンホール」さんからこれは「下水」の文字の中に旧小倉市の市章が入っている通称「下水囲みタイプ」の旧小倉市のマンホールの蓋ではないかと、貴重なコメントがブログに突然に送られてきました。
これを切っ掛けに旧小倉市のマンホールの蓋探しが開始するがなかなか見つからず、途方に暮れていたところ。

(路上)路上観察とマンホールの蓋-5

 偶然マンホールではなかったのですが、「下水」の文字をが旧小倉市の菱型の市章を挟んでいる桝蓋を発見しこれが旧小倉市の下水度のマークであることを確認しました。


(路上)路上観察とマンホールの蓋-6

 市外からの来場者も多いようなので、その説明として北九州市は1963年に五市が合併してできた市で、旧市それぞれの市が独自に下水道事業を行っていたことや、1918年に旧若松市が九州で2番目に事業開始し、その後1925年に旧小倉市、1934年に旧八幡市、1958年に旧戸畑市、1963年に旧門司市がそれぞれ事業を開始しました。今年は旧若松市の事業開始から100年になります。
 現在でも、市内にはいくつかの旧市時代のマンホールの蓋が現役で残っていますが、これらはすべて50年以上前のものです。

(路上)路上観察とマンホールの蓋-7

 旧小倉市はじめ旧五市のマンホールの蓋を探し始めました。その写真と市章を説明していきましょう。
 まず左の物件が旧門司市のマンホールの蓋です。蓋の中心には門をデザイン化した丸い縁取りがあり、旧門司市が港町であったところから真ん中に錨のマークが描かれてています。
 右の物件は、旧若松市のマンホールの蓋です。中心にカタカナで右からワカとデザイン文字が入っています、それを松葉で囲む旧若松市の市章が入っています。

(路上)路上観察とマンホールの蓋-8

 左側が最後まで探し出すのに苦労した、旧小倉市のマンホールの蓋です。先ほど見ていただいた桝蓋に入っていた下水のデザイン文字にの間に菱型で小の字をデザイン化した旧小倉市の市章を挟んでいます。
 右側が旧八幡市のマンホールの蓋です。八つの日の丸の旗をデザインした旧八幡市の市章が真ん中に入っています。

(路上)路上観察とマンホールの蓋-9

 最後が旧戸畑市のマンホールの蓋です。旧戸畑市の市章は戸を丸くデザインしたものですが冠の一の部分がツルハシの形になっています。これは、戸畑も若松と同様に石炭の積み出し港であったことや、筑豊御三家の一つである安川・松元家の明治鉱業
の本拠地であったことが関係しているのかもしれません。

(路上)路上観察とマンホールの蓋-10

 旧五市のマンホールの蓋を緊急調査していた時期は、北九州市の50周年の時でした。旧五市を思い出す物件もだんだん少なくなってきました。旧小倉市役所は移転して、リバーウォーク北九州になりましたし、旧若松市役所や旧戸畑市役所は移転してしまいました。旧戸畑市役所は市立図書館にリノベーションし市立戸畑図書館として残っていますが、時がたつにつれて旧五市時代の物件は無くなっています。
 この旧五市のマンホールをの蓋を何とか残せないものかとこのブログで書いたり、市役所の方に相談したりしていました。清潔で快適に暮らしたいという先人たちの思いのこもった、これら旧五市のマンホールの蓋は旧五市遺産だとの思いをより強く感じました。

(路上)路上観察とマンホールの蓋-11

 このブログを見た西日本新聞社の方が、訪ねてこられて北九州市市制50周年記念のコラムとして、旧五市のマンホールの蓋を取り上げたいのでどこにあるのか教えて欲しいと来られました。そこで、マンホールの蓋のある場所や、残したいという思いや、なぜ50年以上も残ったのかについてお話しました。その後、市役所の担当部局にも取材して市内面でしたが結構大きな記事で掲載されました。掲載後、記者の方がお礼に来られて、記事の評判が思いのほかよかったことや、市の担当部局でも話題になっているとのお話を伺いました。

(路上)路上観察とマンホールの蓋-12
   
 その後、仕事が小倉から宮崎県都城市に移ったことで旧五市遺産のマンホールの蓋がどうなったのかすっかり忘れていました。すると「駅からマンホールさん」から北九州市下水道事業100周年記念事業としてマンホール広場が日明浄化センターの敷地内に整備され、そこに旧五市遺産のマンホールの蓋が保存されたとの連絡を受けました。
 それを聞いた時は、ホッとししてその後ジンワリと言葉では言い表せない興奮と喜びを感じました、そして炎天下の中、若松・戸畑をママチャリで走り回ってマンホールの蓋探しをやったことや、小倉北区の長浜町の路地裏で旧小倉市のマンホールの蓋を見つけて小躍りしたことを思い出しました。

(路上)路上観察とマンホールの蓋-13

 思いは通じたそして、旧五市のマンホール遺産の蓋は保存された。
 トークが終わって控室に戻ると、北九州市上下水道局の企画課長さんが訪ねてこられて、実はあの新聞記事が出た後、確かにこのままでは旧五市のマンホールの蓋は無くなってしまう、とにかく調査してみようと旧五市時代に下水道が整備された地区を区役所の人も動員して人海戦術で歩き回ってコンディションの良いマンホールの蓋を探されたそうです。管路図には、整備された時代とマンホールの位置は記入されているが、どのタイプの蓋が使用されているかは書かれていないので人海戦術しか方法がなかったそうです。
 コンデションが良いマンホールが見つかったので、この後どうするのか決めないままマンホールの交換を実施してマンホールの蓋は日明の上下水道局の倉庫に保管したそうです。
 その後、北九州市下水道事業100周年記念事業としてマンホール広場を整備することになり、倉庫に保管してあった旧五市遺産のマンホールの蓋が再び活躍場を得たとのお話を伺い、思わす課長さんとしかり握手してしました。
 本当に皆さんありがとうございました!!

浦底さん
 マンホールサミットでアシスタントを務めた「水の天使」浦底 理沙さん


 今、思い起こしてみればあの記事が掲載されてからしばらくして、小倉の長浜町と若松の栃木ビル前にあった旧市のマンホールを見に行ったら、ひまわりのマンホールに取り替えられていました。その時は驚いたのですが、あれはきっと回収したののでしょう。


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