路上観察学会小倉支部 a File of the ROJOH KANSATSU

大切な石なのだろうが。。

今回、到津方面に出没してみた。そして路地裏を歩いていると発見したのがこの物件である。来歴も由来も何もない、歩いている人もいない。詳細調査は後日報告するとして皆さんと観察してみよう。採集地は小倉北区都(みやこ)、西南女学院中学の南側の方です。

謎の石

手前の建物と、奥の建物の間に何か石が飾っています。いったい何だろうか。
もう少し近づいてみよう、台座の部分はまだ新しいようです。

謎の石2

道路外の三角形の土地に、台座はコンクリートブロック造で、その上に大小6個の石が並べられています。しきびのような物が生けられ、その横には水を入れるためでしょうか小さなぐい飲みのような物が置かれています。
石自体には何も人の手で加工されたような痕跡がありません。ツルツル丸みを帯びた形です。手前真ん中の石がちょっと見にくいのですが、これだけが赤みを帯びた色をしています。

赤い小さな石が見えやすいように、もう少し角度を変えて観察してみましょう。

謎の石3

石の底部は台の下に埋まっているのでしょう。しかし、とてもきれいな形をしています。なぜここに祭られているのかは不明です。
これは、支部長の仮説ですが。この石に接する家の裏は小山になっています。ここは昔引地山城(ひきちやまじょう)お城があったところなのです。


築城年代は定かではないのですが、平安時代に宇佐大宮司到津中務によって築かれたと云われており、宇佐神宮の神領であった到津庄を管理する城で、代々宇佐大宮司の支族が守っていたそうである。

鎌倉時代には宇佐大宮司の代官として清末氏が派遣され代々の居城となり、 天文年間(1532年~1555年)には清末駿河守公朝、清末左馬助が城主であったそうである。 永禄4年(1561年)宇佐大宮司公達は大友宗麟との戦いによる兵火で、宇佐神宮を焼失し、公達はこの引地山城に逃れて天正11年(1583年)まで在城していたと言われている。

この近くには、その関係の史跡も多いらしい、宇佐神宮は、足立山での和気清麻呂の故事などものこされているように関わり深い土地なのであろう。

立派な史跡なのかもしれないが、、もうすこし、何かが欲しい。
今度ワンカップでもお供えしようか。







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